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  • 小説梁祝リャンチュウの著者「趙清閣」と「老舎」の恋愛事情
    渡辺明次 (09/11)
  • 「孟姜女口承伝説集」に前文を書いていただいた蘇州の馬漢民先生東京へ、神保町と国会図書館に同行。明代の文学者、蘇州の人、馮夢竜(ふうむりゅう)の記念館開設準備のための来日。
    渡辺明次 (09/11)
  • 「孟姜女口承伝説集」に前文を書いていただいた蘇州の馬漢民先生東京へ、神保町と国会図書館に同行。明代の文学者、蘇州の人、馮夢竜(ふうむりゅう)の記念館開設準備のための来日。
    えり (09/09)
  • 小説梁祝リャンチュウの著者「趙清閣」と「老舎」の恋愛事情
    えり (09/09)
  •  梁祝リャンチュウ伝説(梁祝愛情故事)は1500年以上昔の東晋(AD317〜420)の頃に形成され今に連綿と語り伝えられており、中国で四大愛情伝説(梁祝・孟姜女・牛郎織女=七夕伝説・白蛇伝)の一つに数えられる伝説である。
    Tsukagoshi (07/25)
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甘棠(かんとう) 翦(き)る勿(なか)れ、 甘棠 翦(き)る勿(なか)れ、聖君の住む庇は永遠に!
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      甘棠(かんとう) 翦(き)る勿(なか)れ、 甘棠 翦(き)る勿(なか)れ、
    聖君の住む庇は永遠に!

       

    愛情伝説ではないことが分かる  寧波第3の石碑、清代、
    「重修晋鄮令梁圣君庙碑记」(修築晋鄞県知事梁聖君廟碑記):


     
    梁祝伝説に関わる全ての文字資料を、誰でもが日本語で読めるようにと翻訳を続けているのだが、今回は再び寧波に4つある石碑の第三番目、清代の石碑に挑戦した。PCへの文字入力後、石碑に句読点がないため、上海にいる湘潭大学卒業生グループなどに質問した後、最終的に上虞の祝英台文化研究会会長の陳秋強先生にたどり着き、句読点をつけて欲しいとお願いしたところ、詳細な返信をいただき、まるで分からなかった石碑の後半部分の詩文が古典に典拠がある、(自分だけが知らない)知る人ぞ知るものであることが判明した。

     

     

     

     

    寧波の石碑は 1,宋代:李茂誠の石碑1100年代・

    2,明代:魏成忠の石碑1500年代・

    3,清代:陳勱(ちんばい)の石碑1800年代・

    4.現代1900年代の四つの石碑が、

    寧波の「梁祝文化園」の「梁山伯廟」堂内の両サイドの壁に(戦乱で持ち去られたり破壊されないために)埋め込まれている。年代を見ると、300年から400年経つて、梁山伯(リャンシャンボ)の廟が朽ち果てるか、梁山伯の事績が忘れ去られようとすると、その時代の寧波の学識ある役人などにより石碑が作られ、廟堂の修復がなされていることがわかる。

     

       今回取り上げる清代の第三の石碑の内容解説
      陳勱(ちんばい1805-1893)という、晩清の学者で清代寧波の県知事(出生寧波の人)が作り残したものである。この清代の石碑の内容は、まず自分より前の二つの石碑、宋代の李茂誠の石碑1100年代、明代の魏成忠の石碑1500年代の内容に触れ、やはり悲恋の愛情伝説などの記載は全くなく、梁山伯(リャンシャンボ)がいかに民の生活を思い、いかに優れた、希有な民衆と共に歩み、民に慕われた役人、県知事であったかを記し、この人物を、さらに永久に伝えるために石碑に刻むとしている。

     

      この石碑には、主に二つの古典

    「漢書」(7列伝現柩(じゅんり)伝第59)にある「朱邑(しゅゆう)」のエピソードと

    『詩経』召南の「甘棠(かんとう)」と題する詩として残っている、

    (周の宰相・召公(ショウコウ)が、甘棠の木の下で憩い、人民の手間を取らせまいとして、そこで訴訟などを聞いたことから、人民にしたわれるようになったというエピソード)が引用され、

    その中でも「朱邑(しゅゆう)」・「召公(しょうこう)の個人名と事績をあげ、梁山伯(リャンシャンボ)が、若干20歳でありながらも、この二人とも肩を並べる、民衆に慕われる善政を行った人物だと刻まれている。

     


      石碑に引用されている、
    古典に典拠のあるエピソード、一つ目が

     

    「漢書」7列伝検⊇柩(じゅんり)伝第59にある「朱邑(しゅゆう)」のエピソード。( 循吏(じゅんり)とは、酷吏と対照的に、人民愛護を表看板とする官吏のこと)
     
    朱邑(しゆゆう)は、廬江郡舒県の人である。若いころ舒県の桐郷の嗇夫(しょうふ・賦税と訴訟を担当する役人)となったが、清廉公平で、苛酷なところがなく、人を愛し人の利をはかって行動し、かってまだ人を笞うち辱めたことがなく、老人・孤児・寡婦を慰問し、恩情をもって彼らを取り扱ったので、所管内の吏民に敬愛された。

     

      二つ目  「詩経‐召南・甘棠」「召伯」
       (生没;? 〜 前1053年?)召公(しょうこう)は
    周朝の政治家。太公望や周公旦と並び、周建国の功臣。召の地(現在の陝西省岐山県西南)を食邑(しょくゆう = 知行所・采邑・領地・封地・封土。)としたことから召公、周召公、召康公または召伯とよばれる。武王の殷朝打倒を補佐し、その功積により燕(現在の河北省北部)に封じられ、都城を薊(ケイ=あざみ:現在の北京)と定めた。

     

     【甘棠之愛】 かんとうのあい
    立派な為政者に対して、国民の敬愛の情が深いことをたとえる。【甘棠】は、バラ科の果樹「やまなし」の類といわれている。周の宰相・召公(ショウコウ)は、甘棠の木の下で憩い、人民の手間を取らせまいとして、そこで訴訟などを聞いたことから、人民にしたわれるようになった。そのことが、『詩経』召南の「甘棠」と題する詩として残っている。
      甘棠(かんとう)の 詠(えい)

    周の宰相召公が甘棠樹の下で民の訴訟を聞き、公平に裁断したので、民が召公の徳を慕い甘棠の詩(「詩経‐召南」所収)をつくりうたったという故事から) 人々が為政者の徳をたたえることを言う。

     

    【甘棠(かんとうのあい愛】その詩)

     

     

    人民がりっぱな為政者を心から慕うこと。出典『詩経 召南』
     

    蔽芾(へいひ)たる甘棠
    翦(き)る勿(なか)れ伐(き)る勿れ
    召伯のやどりし所

    蔽芾たる甘棠
    翦る勿れ敗る勿れ
    召伯の憩ひし所


      現代語訳
    こんもりと茂った甘棠の木。
    枝が茂り過ぎ邪魔になるから、切り払ってしまおうか。
    いやいや、枝を剪らないでおくれ。幹を伐らないでおくれ。
    召伯様がやどられた思い出の木だから。
    召伯様が憩われた思い出の木だから。

     

     

      注:「漢書」中国,二十四史の一。前漢の歴史を記した紀伝体の書。一二〇巻。後漢の班固の撰,妹の班昭の補修。82年頃成立。
      注:「詩経」中国最古の詩集。五経の一。孔子の編と伝えるが未詳。西周から春秋時代に及ぶ歌謡三〇五編が収められている。
     注: 甘棠(かんとう)とは、 植物「ずみ(桷)」の古名⇒ずみ【桷・酸実】バラ科リンゴ属の落葉小高木。山地に自生し、荒地や湿地に群落をなす。高さ10メートル。枝にとげがある。春の末、白色で赤いぼかしのある花を多数開く。果実は黄または紅熟。材は緻密で堅く、家具・細工物などにする。樹皮は煮出して黄色の染料とし、また明礬(みょうばん)などを加えて黄色絵具を製する。ヒメカイドウ。コリンゴ。コナシ。漢名、棠梨。

     

    posted by: リャンチュウ先生 | - | 16:38 | comments(0) | - |
    愛情伝説とは異なる一面⇒“生当封侯,死当廟食,区区何足論也”と“有美錦,使学 制”寧波の石碑に刻まれた、高邁な理想を抱いた清廉潔白(清官)な若き役人の姿
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        梁祝伝説の全ての資料を、誰でもが日本語で読めるようにする翻訳を続けているのだが、今回は、寧波の「梁祝文化園(梁祝の廟と墓がある)」にある四つの石碑に書かれていることで、宋代と明代の二つの石碑にある、注目すべき言葉(古典の記事と一致する部分)を紹介したい。
       
      1,宋代1100年代、実在の明州知事「李茂誠(りもせい)」の宋大観年間の「晋鄮令梁聖君廟碑記(義忠王廟記)」(晋鄮ぼう県知事聖なる梁山伯廟記)。(誕生から死までと梁祝二人の関係を、中心に「この世にあっては生きているときは諸侯に封ぜられ偉い役人になり、死しては人々の尊敬を受ける人になるべきであって、女性にふられるなどという小さなことは論ずるに値しない」)がある。

       

      2,明代1500年代の鄞県知事、「魏成忠(ぎせいちゅう)」が作らせた「晋鄮令梁山伯碑記」(晋代の鄮ぼう県知事聖なる梁山伯鄞県知事の廟記)(梁祝二人の関係ではなく、いかに民衆に慕われ優れた知事であったか、また知事に相応しい見識を備えた人物であったかが書かれ、その話しを敷衍する形で⇒、「有美锦,使学制」『あなたに美しい錦があるのを、裁ち方を習ったものに裁たせない。』(錦を裁つ⇒賢者は県知事という要職に就くべきである)が強調されている。)

       

          寧波には石碑が四ある、その一つ目
       

      1,宋代1100年代、実在の明州知事「李茂誠(りもせい)」の宋大観年間の「晋鄮令梁聖君廟碑記(義忠王廟記)」(晋鄮ぼう県知事聖なる梁山伯廟記)。 李茂誠は(1107年〜1110年)北宋大観年間の明州知事で、その石碑には、梁祝2人の生没年代などがはっきりと書かれており最も知られた石碑。最も有名で、重要なのは、愛情伝説とは異なる一面を伝える、実際の古典にある言葉である『“生当封侯,死当庙食,区区何足论也。”』⇒「この世にあっては生きているときは諸侯に封ぜられ偉い役人になり、死しては人々の尊敬を受ける人になるべきであって、女性にふられるなどという小さなことは論ずるに値しない」である。この言葉は祝英台(チュウインタイ)に結婚の申し込みをした時に、既に親が決めた結婚が決まっており、祝英台を諦めた時に、ため息交じりに言った言葉である。
       

      この言葉の出典は⇒後漢書「梁棘(りょうしょう・きょく)伝」列伝三・梁統列伝第二十四 ・・・・・
      (梁統の子の)梁棘(りょうしょう)は京師(みやこ)に生長したれば、本土を楽しまず、自ら其の才を負(たの)んで鬱鬱(うつうつ)として意を得ず。嘗つて高きに登りて遠くを望み、嘆息して言いて曰く、「大丈夫の世に居るや、生きては当に侯に封ぜらるべく、死しては当に廟食(廟に祭られること)せらるべし。如し其れ然らずんば、閑居して以て志を養う可く、『詩』、『書』は以て自ら娯しむに足る。州郡の職は徒らに人を労(わずら)わす耳(のみ)。・・・・・・・
      これが書かれている、後漢書は後漢(25年―220年)時代を記した紀伝体の歴史書であり、年代的にも、この言葉を、勉学の中で梁山伯(リャンシャンボ)が知り、これを「後漢書」から学んで、自ら祝英台との恋が実らなかったときに、咄嗟に思い起こし慨嘆して語ったとしても何の不思議もないのである。
        

      注:「後漢書」⇒中国,後漢(25年から220年)時代を記した紀伝体の歴史書。全120巻であるが,本紀10巻・列伝80巻は南朝宋の范曄(はんよう)の作で,志30巻は晋の司馬彪(しばひょう)の作。
         注:梁 統(りょう とう、生没年不詳)は、中国の新代から後漢時代初期にかけての武将、政治家。

        

      二つ目明代の石碑
       2,明代1500年代の鄞県知事、「魏成忠(ぎせいちゅう)」が作らせた「晋鄮令梁山伯碑記」(晋代の鄮ぼう県知事聖なる梁山伯鄞県知事の廟記)魏成忠は明朝万暦29年(1568年)の鄞県(寧波)知事。水利工事(施設)に関心があり、護岸工事の土塁を築くために、魏成忠自ら石を運びレンガを積み修理した。娼妓制度に反対し、後に外刑部主事となった。
      石碑には、梁祝二人の関係ではなく、いかに民衆に慕われ優れた知事であったかが書かれ、知事に相応しい見識を備えた人物であることが称えられ 、鄞ぎん県知事は、昔の

       

      春秋左氏伝襄公31年)にあるように、(梁山伯は美しい錦の裁ち方を習得した人物である)「有美锦,使学制」⇒『あなたに美しい錦があるのを、裁ち方を習ったものに裁たせない。』

      という話しからいけば美しい錦の裁ち方を学んでいるので、余りある立派な知事であり・・・・を引用し、(錦を裁つ⇒賢者、県知事という要職に就くべきである)梁山伯(リャンシャンボ)は、儒教を中心に学問したので、なるべくして県知事となったのである書いている。

       

       

         この出典は 《春秋左传正义》卷四十〈襄公·传三十一年〉
         孔子と(その弟子)子産(春秋時代の鄭の宰相)の会話

       

      ⇒ また子皮(鄭の公族の中で最大の勢力を誇っていた宰相)が尹何(いんか:若年で而も政治経験のない若者)に地方の町を治めさせようとしたとき、子産は言った、「若い。使えるかどうかわかりませんよ」「まじめだ。わたしがかわいがっている。わたしには叛かない。あれを地方へやって勉強させれば、ますます政治が分かるだろう」「だめです。人を愛するならその身のためを計るべきです。今あなたは人を愛して政治をやらせようとなさる。それは庖丁の持ち方も知らぬ者に料理をさせようとするようなもので、害が多いでしょう。あなたは人を愛して、これを傷つけるだけです。それではだれもあなたに愛されるのを嫌がるでしょう。あなたは鄭の国の棟なのです。棟が折れればたるきが崩れます。そのときわたしも潰されてしまいます。ですから残らず話をいたすのですが、

      あなたに美しい錦があるのを、裁ち方を習ったものに裁たせない。それはだめです。大役・大邑は身を庇う(大切な)着物ですから、習った者に裁たせてこそ、美しい錦もさらに着ばえがするのではありませんか。

       

      注:春秋左氏伝:魯(ろ)の国の歴史書で五経の一つである「春秋」の注釈書。30巻。文章にすぐれ史実に詳しい。孔子(こうし)と同時代の左丘明(さきゅうめい)が注釈を付けたものというが、諸説がある。「伝」は経書の注釈の意。

        他の二つは以下の3と4である。
      3,清代1600年代 清代の県知事で学者の「陳勱(ちんばい)」(1805〜1893年)、鄞県(寧波)の人が建てた石碑、「重修晋鄮令梁聖君廟碑記」(晋代の鄮ぼう県知事聖なる梁山伯鄞県知事の廟修築)(一つ目の李茂誠の石碑の内容が引用され廟堂が寂れたので修復することが書かれている)

       

       

       

      4,現代1996年に建てられた、「桑文磁(そうぶんじ)」(1914年生)鄞県(寧波)の人、鄞県政治協商会議常務委員、県人民政府委員を務めた。「重建梁山伯廟碑記」(修築梁山伯の廟記)、主として現代に至り廟堂を再建することが中心に書かれている。

       

      posted by: リャンチュウ先生 | - | 16:42 | comments(0) | - |
      戯曲梁祝で祝英台チュインタイを演じた(シフォンケーキの専門店・鎌倉しふおん)の 青井聡子さん2月15日(土)毎日新聞に登場!
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           2009年10/3の戯曲「梁祝リヤンチュウ」鎌倉公演に始まり、 寧波で行われた「梁祝シンポジウム」や、寧波・上虞などのこれまでの梁祝(リヤンチュウ)中国遠征、宜興への招待遠征すべてに関わって下さり、古野氏の「戯曲梁祝」鎌倉公演でのヒロインとして祝英台(チュインタイ)を演じた青井聡子さん2月15日(土)毎日新聞に登場!
           この新聞には梁祝(リャンチュウ)会メンバーも知らない青井聡子さんが紹介されています。
            この件を、梁祝会広報部長Tsukaさんが氏のブログ「夢酔独言」で。今朝、取り上げられました。例の如く以下に全文転載させていただきます。
          

         

         

        以下、Tsukaさんのブログ「夢酔独言」です。

        2020年2月16日 (日)

        梁祝(リャンチュウ)戯曲のヒロイン青井聡子さんが、毎日新聞に!

        20200215 「梁祝(リャンチュウ)愛情故事」とは、中国・4大愛情伝説の一つ。
        日本で初めて公演された戯曲「梁祝」のヒロイン、青井聡子さんは、しふぉんケーキ専門店の店主もあるのです。
        シフォンケーキのレシピ本やケーキ作りの教室、さらに地元鎌倉では商工会議所から起業家としてセミナーを頼まれるなど忙しい日々。

        そんな青井さんから、
        昨日(2月15日)の毎日新聞朝刊に掲載されました。「鎌倉しふぉん店主 青井聡子」として大きく取り上げて頂きました。

        取り上げられたテーマがいいですね→「多才多彩 この人に聞く」。
        写真がまた大きくて素晴らしい!(笑)ご自身が書かれたブログはこちら

        Aoiito03 実は、日本の「梁祝会」と本場中国との交流を毎年続けることができたのも、彼女のおかげが大きいのです。
        「梁祝会」の活動も毎度楽しく続いているし、きっと渡辺明次(梁祝会会長)先生もお喜びのことでしょう。(^_^)v

        ※写真は、2017年9月に「人民網(人民日報ネット版)」に取り上げられた記事より、
        「日本版民話劇「梁祝」、浙江省寧波市で公演」。
        クレジットは、中国の伝統衣装を着て「梁祝の恋」を演じた青井聡子さんと伊藤健康さん。

        posted by: リャンチュウ先生 | - | 18:12 | comments(0) | - |
        続三義先生を囲む(ご退職慰労の)会、とても良い雰囲気で盛り上がりました。
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             2020年2月8日、続三義先生を囲む(ご退職慰労の)会、とても良い雰囲気で盛り上がりました。
             その様子を先ほど梁祝会広報部長Tsukaさんが、氏のブログ夢酔独言に取り上げられましたので、例の如く全文そのまま転載させていただきます。


          また突然連絡のあった、湘潭(シャンタン)大学の2009級の卒業生が3名飛び入りで加わりました。彼女たちは卒業後東北大学の大学院に入り,日本語が堪能であることで、外資系の会社や、通訳として日本で活躍し、もう三年も東京で働いているというのです。
          3名も違和感なく、続先生を囲んでとても良い雰囲気で、有意義な話の尽きない会となりました。3名の真摯な姿勢と日本語には一同感心しきりでした。
            なお、蛇足ながら、Tsuka さんに御揮毫いただいた

          「和光同塵」 とは広辞苑→
          わこう‐どうじん【和光同塵】
           力兄(第4章)「其の光を和(やわ)らげ、其の塵に同ず」]知恵ある人がその知の光をやわらげ隠し、俗世間の人々の中に同化して交わること。

           

               以下Tsukaさんのブログです。

           

          2020年2月 8日 (土)

          続三義先生を囲む会(退職慰労)が盛り上がる

          Photo_20200209125702

          今年の初めに、東洋大学教授を定年退職される続三義先生の最終講義に出席しました。
          今日は、我々梁祝(リャンチュウ)会主催の「続三義先生ご退職慰労会」です。

          本日集まった(私と青井さんを除く)全員が続先生(北京外国語大学教授時代)の教え子なのです。
          尤も、3名の若い女性たちは渡辺明次先生(梁祝会長)の教え子だから孫弟子かな?

          Photo_20200209125802 渡辺先生が企画・幹事をなされ、当所は我々5〜6名の予定でいたのですが、久々の飯島さん、工藤さん、大塚さんも参加、さらには日本に勤務して3年という女性たちが加わり知らないうちに2倍の参加者になっていました。

          さすが続三義先生。

          01_20200209125801

          若い女性3名。
          渡辺先生が湖南省の湘潭大学で日本語教師をされていた時代の一人の学生から突然のメールがあったそうです。

          「渡辺先生、お久しぶりです。湘潭大学2009級の日本語科の学生です。
          東京が寒くなってきて、お元気でしょうか。先生は日本にいらっしゃるのでしょうか。
          大学院卒業後に就職して東京に住んでいます。先生が東京に帰りましたら、ご挨拶に伺いたいのですが、
          もしこのメールアドレスをまだ使っていましたら、ご返信いただけると嬉しいです。」

          Photo_20200209125703 なんともう東京に住んで三年だというのです。なお(新型肺炎については)春節の帰省はなく東京に住んでいるということでご安心下さいとのこと。

          そしてその後、同じく東京で働いている二人からも参加を希望してきたそうです。

          となると、私も思っていた以上に楽しみでした。

          Photo_20200209125801 ところで私はお祝いとして、続三義先生に贈る言葉『和光同塵』を金色の色紙に、
          それと記念写真用にタイトル『続三義先生、退職慰労会』を揮毫してきました。

          『和光同塵』は禅語で、(中国道教の祖・老子の『道徳経』第四章にある句)「和光」は才知の光を和らげること。「同塵」は俗世間に合わせること。
          つまり"能ある鷹は爪を隠す"かな?続先生にお似合いの言葉?と自負したもので。

          ここは池袋東口の蔵元居酒屋「清龍」、渡辺先生お気に入りの飲み屋です。

          Photo_20200209125701 午後6時スタートが少し遅れましたが、
          前橋から新幹線で到着の浦野さん、鎌倉からは青井聡子さんは遠方からの参加、そして、久しぶりにお会いする方々や、若い女性たちなど。

          盛り上がるわけです。主賓の続先生も大いに元気ぶりを発揮していました。

          Photo_20200209125803 あっという間に飲み食い放題の2時間が経ちましたが、梁祝会でもあり、定期的に集まるような予定を立てていないにも関わらず、何だかんだと毎度予定ができてしまうのです。(笑)

          さて、またの機会を楽しみに、今日は本当に楽しかったです。(^_^)v

          posted by: リャンチュウ先生 | - | 16:47 | comments(0) | - |
          続三義先生の退職を祝う会、2/8(土)決定「梁祝(リャンチュウ)会新年会を兼ねて」
          0

             

                梁祝会広報部長Tsukaさんのブログ「夢酔独言」に今朝 『続三義先生の退職を祝う会、2/8(土)決定・梁祝(リャンチュウ)会新年会を兼ねて』が取り上げられました。これを梁祝ブログに転載させていただき更に広く参加のお申し出を期待しています。現在約10名程の参加を確認しています。

              場所:蔵元居酒屋「清龍(せいりゅう)」
                 東京都豊島区東池袋1-4-2
            日時:2月8日(土)18:00〜20:00、会費3500円コース
            アクセス:JR山手線/池袋駅(サンシャイン方向に歩いてすぐ)徒歩4分 (313m)


              
            以下、今朝のTsukaさんのブログ転載です。

            2020年1月17日 (金)

            「続三義先生をお招きして退職を祝う会」

            Photo_20200118165201 先日、定年退職を迎えた東洋大学教授、続三義先生の最終講義に、我ら「梁祝(リャンチュウ)会」のメンバーが出席しました。→

            その後、渡辺明次先生(梁祝会長)が「続三義先生をお招きして退職を祝う会」をセッティングしてくださり、連絡が入りました。

            ただいま池袋「清龍本店」を2月8日(土)18:00開始で予約いたしましたので、宜しくお願いいたします。

            Photo_20200118165202

            場所:蔵元居酒屋「清龍(せいりゅう)」
            東京都豊島区東池袋1-4-2
            (「清龍」は雰囲気も悪くなく安価で料理の質がよいということで選択しました)
            日時:2月8日(土)18:00
            アクセス:JR山手線/池袋駅徒歩4分
            電話番号:03ー3985ー6342

            渡辺先生、大変お手数おかけしました。

            前回参加できなかった浦野さんは、前橋から新幹線で上京、鎌倉の青井聡子さんもOKだと。
            今のところ7名ですが、人数が増えた場合はその都度連絡することになっております。

            というわけで続先生とまたお会いでき、二度目の新年会?も楽しみにしております。(^_^)v
            ※左上の写真は、渡辺明次、続三義共訳の「紅の軍」(日本僑報社刊)を手に講演する続先生、ちなみに表紙デザインは私(塚越)です。(笑)

            posted by: リャンチュウ先生 | - | 14:10 | comments(0) | - |
            『日本語、中国語と私、語学教育40年』続三義先生、最終講義2020年1月6日東洋大学へ
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              続三義先生、最終講義の様子を梁祝(リヤンチュウ)会広報部長Tsukaさんが今朝、氏のブログ「夢酔独言」でお取り上げいただきました。早速例の如く、そのまま転載させていただきました。

               

                授業終了後、順番待ちとなった先生との写真撮影を済ませ、その後のご予定がはっきりしない先生に、『私たちは池袋で一献交わしているので、ご都合がつくようでしたらお出でいただきたい』とお願いして慌ただしく教室を後にした。

                    

              池袋「清瀧」に落ち着き、先生から連絡があるかもと思いながら、Tsukaさんから全員に写真にある色紙がプレゼントされたりで、話が盛り上がり酔いも進み、携帯がカバンの中でマナーモードになっていることをすっかり忘れ気がついたときは既に8時過ぎ、注意され携帯を取りだしてみると先生から3回も着信している、だが時既に遅し、もうご自宅に戻られている先生にひたすらお詫びした。    
              それで、  日を改め2月、続先生のご都合かつく日時をいくつかご提示いただきそれを規準にして各位の都合がつく日時を問い合わせ「続先生をお招きして退職を祝う会」を(日時が分かるようになりましたら)
               ご連絡をいただければ、設定いたしたいと思っておりますとお伝えした。

               

               その後家に戻り、夜遅く写真をお送りしたところ、深夜にもかかわらず、以下の返信をいただいた。

               

              こんばんは。本日は本当にありがとうございます。写真は、撮れていますね。ありがとうございます。
              携帯の件、よくあることなので、どうか、気になさらないでください。2月のことですが、ちょっと日程を確認してから、ご返事します。よろしくお願いします。
              取り急ぎ。

               

              以下Tsukaさんのブログです。

              2020年1月 6日 (月)

              続三義教授の最終講義を聴講。

               東洋大学経済学部教授の続三義先生が3月で定年退職となります。
              今日は先生の最終講義を聴きに、我ら「梁祝(リャンチュウ)会」のメンバーが集まりました。

              Photo_20200107164101

              続先生との関係は続三義先生、定年退職最終講義のご案内に書きましたが、「梁祝会」の渡辺明次会長が梁祝ブログに書かれた、「梁祝会の顧問として会の活動を全面的にバックアップいただいている続三義先生、最終講義にも詳しくかかれています。

              新年早々の講義なので予定がとれたのは6名でしたが、祝英台役を演じた青井聡子さんが鎌倉から和服で駆けつけてくださったのは素晴らしい!(写真は、続三義教授を囲んで)

              Photo_20200107164102

              1時間半の講義は
              『日本語、中国語と私』。
              先生は「日本人に対する中国語教育のレベルをもっと高めたい」との願いから、大学で中国語を教えながら、日中言語対照研究を続けています。

              広い教室は現役学生でしっかり埋まり、講義後も記念写真や花束贈呈など続き、やっぱり大変な人気教授だったのですね。
              上の写真では、たまたま高齢者が目立ってますが…(笑)

              その後、我々は東洋大学正門からバスで池袋の居酒屋『清龍』へ。
              ミニ新年会となりましたが、続先生は参加できなかったので、後日改めて「続先生をお招きして退職を祝う会」を設定する予定です。

              続三義先生、お疲れ様でした。今日は大変有意義な時間を有難うございました。(^_^)v

              posted by: リャンチュウ先生 | - | 09:35 | comments(0) | - |
              梁祝会の顧問として会の活動を全面的にバックアップいただいている続三義先生、最終講義
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                   梁祝会広報部長Tsukaさんの本日のブログ夢酔独言に
                       続三義先生(元北京外国語大学教授・現東洋大学教授)
                「最終講義」のことが取り上げられていましたので、
                ここにも改めて転載させていただきます。
                    日時:2020年1月6日(月)16:30(5時限目)90分とすれば終了は18:00
                場所:東洋大学白山キャンパス1号館3階1307教室
                    内容:「日本語、中国語と私」

                       
                  もう一つ Tsukaさんのブログに2019年11月17日の項目
                『“梁祝(リャンチュウ)ゆかりの地”に私の書が展示』
                 
                これは、 Tsukaさんに御揮毫いただき(2018年4月)宜興からの招待を受け途中、杭州駅で「上虞の陳秋強会長」に贈呈した書「中日文化使者」が正式に展示されたと(どこに展示されたのか不明、問い合わせ中)写真が送られてきましたので併せてご覧下さい。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                以下Tsukaさんのブログです。

                2019年12月26日 (木)

                続三義先生、定年退職最終講義のご案内

                Photo_20191226194401 東洋大学経済学部教授の続三義先生(元・北京外国語大学教授)から、渡辺明次先生宛に届いたメール文の一部ですが、

                「私も早くも今年で東洋大学を定年退職となります。添付ファイルのように、2020年1月6日に最終講義を行います。有志の皆さんに応援していただければ心強くなります。」

                ということですが、渡辺先生の翻訳書は全てと言えるほど中国語翻訳監修を続先生にお願いし、快く引き受けていただいている。
                という信頼関係。渡辺先生の著書・訳書は日本僑報出版社のサイトにまとめてあります

                2015

                続先生は、我々「梁祝(リャンチュウ)会」にも幾度となくご参加くださり、この10年があっという間でした。

                さらに、我ら「梁祝会」のメンバー殆んどが続先生の教え子とは、すごい!
                それだけでなく、続先生の偉大さはここでカンタンにはまとめられません。
                過去に私が書いたブログをランダムに挙げてみました。
                それぞれ詳しく書かれていますが、懐かしく楽しかった思い出ばかり(笑)

                2010

                2015年11月 7日 (土)
                続三義先生の講演会「日中翻訳による文脈-『天声人語』の中国語訳から」へ。

                2010年7月21日 (水)
                北京外国語大学・同窓会/親睦会

                2016年12月10日 (土)
                昨夜は、梁祝(リャンチュウ)忘年会。

                2018年11月11日 (日)
                今日の「梁祝(リャンチュウ)会」は、日中翻訳フォーラムに参加。

                2016_20191226194501 この定年退職最終講義は

                、新年早々(1月6日)ということで、講義のあとの新年会も考えているのですが、続先生ご本人のスケジュールがまだつかめないようで、連絡待ちの状態です。

                我々だけのミニ新年会となるにしても、続先生にお会いできること楽しみにしております。(^_^)v

                2019年11月17日 (日)

                "梁祝(リャンチュウ)ゆかりの地"に私の「書」が展示。

                Photo_20191117180101 先週は毎日違った予定が続いて大変でした。(笑)
                11月9日(土)に始まった「練馬書道展」を皮切りに、席上揮毫、同期会、梁祝歓迎会、書道展打ち上げ、中国大使館にての作文コンテスト表彰式と交流会…ほぼ毎日、昼も、夜も。
                実は、昨日の土曜日は音楽ライブがあったのですが、さすがに疲れたので次回に延期を。

                Photo_20191117180102

                でも全てが楽しい事だから良いのだけど、緊張感もありました。

                今日の日曜日は久々にのんびり。お昼ご飯を食べていると、渡辺明次先生(梁祝会長)から数枚の写真が添付されたメールが!・・・・・・・・・・・・

                posted by: リャンチュウ先生 | - | 09:56 | comments(0) | - |
                梁の元帝蕭繹の「讀書萬卷,猶有今日(書、万巻を読めども、なほ今日あり)」という言葉、考!
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                      梁祝の文字文献のすべてを誰でもが日本語で読めるようにするために翻訳を続けているのだが、

                   

                  梁の元帝蕭繹のものとして『梁祝変事(梁祝故事)!』という言葉と≪金楼子(きんろうし≫及び≪会稽異文≫という書名が登場する。この言葉と書名だけでは、「読みやすい梁祝伝説の資料文献集」の日本語訳としてはあまりにも唐突過ぎるのでなにか梁の元帝蕭繹(しょうえき508-555年)の、人となり、エピソードをと探す中で

                   

                  「讀書萬卷,猶有今日」という元帝蕭繹の最後の言葉を知った。そこで元帝蕭繹に関して管見の及ぶ限りエピソードを調べてみた。
                    
                  先ず『梁祝変事(梁祝故事)!』は蕭繹の著作の中に登場する言葉で、現在この4文字以外は何も分からない。

                   

                  金楼子≫は元帝蕭繹の号(ペンネーム)にして、彼の著作集の名称(金楼子はその後整理されたものが存在するが、この4文字は見つけることができない)、≪会稽異文≫は(現存しない)書名であるではなぜ梁祝伝説とこの皇帝は関係があるのか。実際の資料にあたり以下のことが分かった。蕭繹の同時代に生活し、身近にあり実際に仕えた人の言葉がいくつかあり、

                   

                  その中にこの「讀書萬卷,猶有今日」があることを知った。


                     元帝蕭繹は梁祝伝説発祥の地会稽で幼児期を過ごし、後に会稽郡太守(「たいしゅ」は、郡の長官・会稽は広く紹興・上虞・寧波を指す)をつとめた。よって実際に梁祝伝説の地にあり自ら梁祝伝説を調べ書き記した人であることはほぼ間違いないと確信できる。      
                  以下実際の史実として見つけられる書物の記録


                    1,新釈漢文大系21明治書院「十八史略下」

                  巻四:南北朝  
                  学問:
                  元帝蕭繹は歴代中国皇帝の中でも学問を愛した皇帝であった。幼少時に病気で片目を失明したが、書物を好み、自ら多くの著作を残し、蔵書は10数万巻に及んだという。

                   

                  また老荘の書を好んだ元帝は、西魏の軍が江陵に押し寄せる中も、『老子』の講義を行い、群臣たちは武装したままそれを聴講した。元帝が集めた蔵書は、江陵が陥落する直前、「書、万巻を読めども、なほ今日あり。」(「讀書萬卷,猶有今日。」)と、自身の手によって全て焼き払われた。「自分は書物を万巻も読んだが、それでも今日の如く禍いにあって降伏せねばならぬ」

                   


                    人となり: 
                  元皇帝は、名は繹といった。繹は眇(すがめ)で、性質が残忍であった。江陵で位に即いた。梁は侯景の乱以来、州郡の大部分が西魏にとられ、蜀も魏の所有となった。そのため梁は巴陵郡(はりょうぐん)から下って、建康に至るまでも領土とし、長江を境とし(て江南の地を治めるだけとなっ)た。○突厥(とっけつ)が柔然(じゅうぜん)を攻めた。北斉は突厥を撃って柔然を馬邑川(ばゆうせん)に遷した。この時柔然が衰えて、突厥が始めて強大になった。 ○西魏の宇文泰が、その主の欽を廃して、その弟の廓(かく)を立てた。その後、欽は泰に弑(し)せられた。○西魏は柱国の官の于謹(うきん)遣わして、梁を伐って江陵に入らせた。落城にあたり、梁王は古今の書籍十四万巻を焼き捨て、(宝剣を柱に投げつけてこれを折り、)「ああ、文武の道は、今夜限りで尽き果てた」と嘆息し、そこで出でて降参した。ある人が、「どういう理由で書物を焼かれたのですか」と問うと、「自分は万巻の書物を読んだけれども、やっぱり今日の憂き目に遇った。(書物など読んでも何の役にも立たないからだ)」といった。間もなく殺された。在位三年、改元すること一回で、承聖といった。   
                   
                   
                  2,平凡社 中国古典文学大系9 『顔氏家訓」顔之推 著 宇都宮清吉 訳
                   第八章 学問論   105 元帝様のご勉強ぶり(全文)

                      梁の元帝さま(在位552年から554年)がある時、親しくお話しくださったことである。「ずっと以前会稽郡に駐在していた時分、身はまだ十二歳になったばかりだったが、疾くに学問の面白さは判っていた。その頃身はまた、疥癬(かいせん)に痛めつけられ、拳も握れず膝を屈げられない程なので、身は人のいない静かな書斎に葛織りの蚊帳をつり、はえが来ないようにして、銀がめには山陰産の甘い酒を用意しておき、時々それをなめながら、苦痛を忘れることにしていた。こうして心のおもむくままに、独りで史書を読みふけり、一日に二十巻も読みあげたものである。もとよりまだ師匠について学んだことはないので、間々一字が読めず一語の意味が判らないこともあったが、必ず何度でも自分でも同じ所を繰り返し読んで、一向に倦きもしなかった次第である」と。
                     御身は畏くも帝の子であり、神童と言いつべきこのお方にして、なおかくの如きご勉強ぶりであったのだ。一般の人々、身分のあるなしに関わらず、自分の力で世に立とうと考えている者は、当然、一層のこと奮励しなければならぬ道理であろう!
                            
                    
                  3,もう一つのエピソード(京都大学 興膳 宏)「金楼子訳注」から 
                  その1:
                  蕭繹(しょうえき)は蔵書家である上に、熱心な読書家であった。片目が不自由だったために、臣下に読ませることが多かったようだが、『南史』梁本紀によると、五人の担当者に一更(約2時間)ずつ交替で読ませ、いつも夜明けにまで及んだ。読書中においいびきをかいて熟睡するので、読む方も眠くなって、読むのに順序次第を失ったり、ときにはこっそり飛ばし読みをしたりすると、前に戻って読みなおさせ、おまけに鞭打ちの罰を加えたという。それだけの読書家だっただけに、彼の頭には古今の書籍がぎっしり詰まっていたはずである。
                   
                  その2: 蕭繹(しょうえき)の人と為りや『金楼子』の内容について、併せて参照すべきは『顔氏家訓』である。著者顔之推は、若いころ元帝につかえて、親しく接した経験があり、この書のあちこちでその思い出を懐かしく回想している。たとえば、勉学編では、元帝の老荘・周易の「三玄」愛好をめぐって次のようにいう。
                    「元帝、江荊(えけい)の間に在りて、復た愛習する所なり。学生を召置して、親しく教授を為し、寝を廃し食を忘れて、夜を以て朝に継ぐ」。思い合わされるのは、西魏の大軍がいままさに江陵に押し寄せようとしていたとき、元帝は『老子』の講義を始め、危機的な状況下にありながら、なかなか講義を止めようとしなかったという史書の記事である。

                   

                  posted by: リャンチュウ先生 | - | 17:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  日程の突然の変更もありましたがついに周友文さんが会社の出張で東京にやって来ました。11月13日(水)神田「清瀧」で「ささやかな歓迎会」!
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                       梁祝(リャンチュウ)会2017年3月の寧波・上虞表敬訪問」の同行通訳を引き受けてくれた周友文さん東京に! 周友文さんは現在、上海の日系企業で働いており、会社の本社研修で日本にやって来ました。
                     

                     

                    11月13日(水)午後15:30頃新幹線で名古屋から東京に移動し(東京に宿泊する)18:00には東京に着き夜は時間が取れる(上司に確認済み)ということが分かり「ささやかな歓迎会」を計画した。新幹線の移動の予定がずれて19:00に神田に現れた。
                       とてもよい歓迎会をして上げることができました。
                         

                     

                     

                     

                    この経過、様子を今朝、梁祝会広報部長Tsukaさんがブログ「夢酔独言」にアップされましたので、以下全文転載させていただきました。
                     

                    2019年11月13日 (水)

                    梁祝(リャンチュウ)会と周友文さん訪日の歓迎会!

                    渡辺明次(梁祝会長)先生によると、周友文女史は「梁祝会2017年3月の寧波・上虞表敬訪問」の同行通訳を引き受けてくれた方」。
                    その他にも中国との連絡を取り次いでくれる優秀な女性です。(写真、私の隣り)

                    02_20191115102701 私も今日のセッティング段階で何度かブログを書きましたが、現在、上海の企業に勤務され、この度、社用で訪日。
                    初めての日本で、11/16(土)には上海に戻るという。
                    今夜しか時間がないということで、集まれるメンバーがぐっと減り、少人数の「ささやかな歓迎会」となりました。

                    とはいえ、戯曲「梁祝」舞台公演の主役を務めた、伊藤君(梁山伯)と青井さん(祝英台)が参加(中央の二人)のおかげで、スゴイ盛り上がりの"大歓迎会"でした。

                    Photo_20191115100101 そもそも周さんは6〜7年前に中国・湖南省の大学で渡辺先生から日本語を学んだ教え子でした。それが今や渡辺先生にとって、我々にとっても、無くてはならない存在。

                    ここは予約していた神田「清龍」。このチェーン店は最近行きつけになったお気に入りの「酒元居酒屋」です。
                    清龍は「酒蔵」の酒だし、出てくる料理を見れば見るほど信じられない安さ!

                    Tsuka_20191115100101尤も周さんは、名古屋から東京駅に着くのが午後6時半頃ということで、ここへは1時間遅れの到着となりましたが、帰りには皆さんプレゼントなど用意していて準備万端。

                    私目は、記念写真用に壁面に飾った「歓迎・周友文さん」を揮毫してきただけ。→
                    気が付きませんで、恐れ入りました。(笑)

                    本場中国との文化的交流を促すには、このようなビジネスライクでない方が必要不可欠と言えるでしょう。
                    無事上海にお帰りになったかと思いますが、今後ともよろしくお付き合いを願います。m(__)m

                    posted by: リャンチュウ先生 | - | 15:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    「梁祝会2017年3月の寧波・上虞表敬訪問」の同行通訳を引き受けてくれた周友文さん東京に!
                    0

                        以下の予定は10/22午後、突然上海の周友文の仕事の都合で取り敢えずキャンセルになりました。
                          その1: 先生
                      大変申し訳ありません。
                      突然董事長(理事長)と飲み会が入って、金曜日はダメになります。
                      どうか水曜日の夕方と土曜日の午前中にしていただけないでしょうか

                        その2: これは周が泊まるホテルです。
                      水曜日は18時指定場所に行ける
                      土曜日は11:30から空港へ向かわないといけません
                      申し訳ありません.

                       

                       

                        「梁祝2017年3月の寧波・上虞表敬訪問」の際同行通訳を引き受けてくれ、献身的に通訳をしてもらった周友文さん(上海の日系企業で働いている)から以下の連絡があった。
                        周友文からのメールでは
                      ☆『11月11日から日本出張で16日(土曜)の午前中は時間があるので、先生に挨拶したいなと思って、先生の都合はどうでしょうか。』

                       このメールを受けいろいろ問い合わせたところ、今勤めている上海の日系企業の「本社研修」で11/11〜11/16に日本に来ることがわかった。                   写真、真ん中の髪の長い女性が周友文さん

                       

                       ☆ 『先生、大変ありがとうございます。
                      今どこに泊まるかまだ確定していませんが、
                      多分 金曜日の夜でも大丈夫だと思いますので、
                      青井さんたちにも会わせていただければ嬉しいと思います。』

                       
                      ところが、11/16(土)は上海に戻る、飛行場に行く直前の時間であることがわかった。
                      「それではあまりにも惜しいので、夕食を兼ねて一杯飲みたい」とさらに問い合わせを続けた結果、90%の可能性で、
                      11/15(金)の夜に時間を取れることを確認、それで周友文さんにとっては初めての日本ということもあり「梁祝2017年3月の寧波・上虞表敬訪問」の関係者にも連絡を取り、ささやかながら「歓迎・周友文さん」というタイトルで歓迎の夕食会を開くことに決め、 場所を神田の「清瀧」にして取り敢えず11/15(金)6名で予約した。
                         現在までに6名の参加を確認していますが、ご参加いただける方がおれば連絡下さい。

                        上海の周友文が日本に来ることを梁祝(リャンチュウ)会広報部長Tsukaさんにもお知らせしたところ、参加の方向でご検討いただけるという返信があり、さらには今朝の氏のブログ「夢酔独言」に、訪問時の動画も一緒に経緯詳細をアップいただきましたので、そのまま転載させていただきました。

                          ↓以下Tsukaさんのブログです↓

                       

                      2019年10月20日 (日)

                      我ら「梁祝会」と本場中国との架け橋、周女史が訪日。

                      梁祝(リャンチュウ)先生こと渡辺明次(梁祝会)会長から、「来月、中国の周さんが東京に来る」というニュース。

                      周さんとは、渡辺先生が中国・湖南省の湘潭(シャンタン)大学で日本語教師をしていた時の生徒(教え子)ですが、それ以来今日まで、通訳として我々と中国を結ぶ大事な役目を果たしてくれているのです。渡辺先生が最も信頼されている方で、彼女なくして"日本梁祝会"の活動はないといっても過言ではないでしょう。

                       

                      ※中央が周さん、左側は祝英台(青井さん)と梁山伯(伊藤君)、

                      渡辺先生からのメールの要旨は、
                      「『梁祝2017年3月の寧波・上虞表敬訪問』の際、同行通訳を引き受けてくれた周さん(上海の日系企業で働く)が本社研修のため東京に来るので、挨拶したいとの旨を受け、11/15(金)夕食を兼ね「ささやかな歓迎会」をしてあげたい」との事。

                      Partynameその他、彼女は中国側とのメールや、やり取りまで全ての間をつないでくれています。

                      私的には、11月10日前後は、書道展開催中だし、同期会あり、仕事がらみの予定もいろいろ入っていて心配ですが、渡辺先生の彼女への感謝の意を表するためにも、なんとか参加したいと調整中です。(^_^)v

                      posted by: リャンチュウ先生 | - | 14:36 | comments(0) | trackbacks(0) |