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  •  梁祝リャンチュウ伝説(梁祝愛情故事)は1500年以上昔の東晋(AD317〜420)の頃に形成され今に連綿と語り伝えられており、中国で四大愛情伝説(梁祝・孟姜女・牛郎織女=七夕伝説・白蛇伝)の一つに数えられる伝説である。
    Tsukagoshi (07/25)
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祝英台(チュウインタイ)を演じた女性(青井聡子さん)寧波・上虞を行く
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    祝英台(チュウインタイ)を演じた女性(青井聡子さん)寧波・上虞を行く
    「中日韓梁祝文化伝播及び現代における価値シンポジウム」に招待され、祝英台(チュウインタイ)を演じた女性(青井聡子さん)も同行した(2016年4月)
    その青井聡子さんのことを梁祝会広報部長Tsukaさんのブログで、また取り上げていただきましたのでまたまた以下

    写真、右今回訪問時、左・厳総支配人、左・周静書会長 中祝英台http://musuidokugen.tea-nifty.com/今回訪問時の舞台、10年前は朱色が鮮やかであった。
    渡辺の所感を加え転載させていただきました。



    以下Tsukaさんのブログ転載
    2016年6月 2日 (木)

    舞台女優の青井さん、帰国後初の公演。

    中国・寧波〜上虞の旅、「梁祝(りゃんちゅう)文化学術シンポジウムも無事終り、
    ヒロイン祝英台を日本(鎌倉)で演じた青井聡子さんの講演は素晴らしかった。

    Photo_3←その、青井さんから、日本での舞台公演案内(写真)が届きました。

    実は三年ぶりの舞台公演。私は殆んど毎回観に行ってますが、今回は渡辺明次先生も同行してくださるとのことで行ってきます。(笑)

    題名は「楽屋」とか…?有名らしいけど、どんな劇か知らないので、それはそれで楽しみ。

    さて、その多才なる青井聡子さんを渡辺先生が「梁祝ブログ」の中たくさん紹介してます。

    その一部を写真と共に抜粋すると…、

    寧波での「中日韓・梁祝シンポジウム」、日本側の講演は青井聡子女史。↓
    Photo_5彼女は日本の古都鎌倉で渡辺明次氏が翻訳した「小説・梁祝」に触発され筆を執った、古野浩昭氏の脚本「戯曲『梁祝』」で、祝英台を演じた女優である。(2009.10.3上演)

    彼女は講演の中で、
    「今回梁祝故事起源の地である梁祝文化園に来られたことはとても嬉しいことで、鎌倉で戯曲「梁祝」の祝英台を演じた時に、頭の中にいつも思い浮かべた祝英台の生活の情景等について、今回の参観で、梁祝愛情故事に対するイメージをより一層豊富にいたしました。」と語った。

    Photo_4←同行したもう一人の梁祝メンバー正谷絵美女史とともに和服を装い、梁祝文化園の中にある“神人共悦”の額がかかる舞台上でパフォーマンスを。さらに、青井聡子女史は記者の求めに応じて即席で戯曲の中の一段を身振り手振り豊かに演じた。
    というわけで、日本での青井さんの舞台公演は来月早々、楽しんできます。(^^)v





    以下渡辺
    2005年最初に訪れてから10年余が経過しついに、2016年4月寧波で開かれた『東アジア文化の都・2016寧波』活動の一環として開かれた『東アジア無形文化遺産保護シンポジウム』の一つの分科会「中日韓梁祝文化伝播及び現代における価値シンポジウム」に招待された。
     写真、右今回訪問時、左・舞台の文字、左「蝶恋」「神人共悦」「鶯囀」、10年前の写真で朱色が鮮やか。
      辺としては祝英台(チュウインタイ)を演じた女性(青井聡子さん)が正しく歓迎されたので大満足だった。それにしても中国梁祝文化研究会会長の「周静書」先生、梁祝文化園の総支配人「厳文祥」氏の態度、姿勢は10年前と変わらず、また祝英台(チュウインタイ)を演じた女性に対する評価、対応は完璧であった。
    Tsukaさんのブログで言及されている、梁祝文化園の中にある「能舞台のような舞台」について渡辺の所感を付け加えると、この舞台の起源は梁山伯(リャンシャンボ)のお墓のあるところに廟が建てられ、その命日
    写真はいずれも、10年前訪問時に歓迎を受けた時
    に催された盆踊りのようなものが行われた舞台である。 渡辺の管見の範囲によれば、この舞台の周りで行われた節会のようなものを「梁祝会」と呼んだようで、「会」という文字には「縁日」と言う意味もある。舞台にある文字額は左が「蝶恋(蝶の恋)」「神人共悦(神、人共に悦ぶ)」右が「鶯囀(鶯のさえず
    写真、10年前訪問時、修復作業をしていた。
    り)」とあり真ん中の「神人共悦」の「神」は梁山伯のことであろう。

    posted by: リャンチュウ先生 | - | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    目を見張る、寧波梁祝文化園の変貌『梁祝古墓』
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      目を見張る、寧波梁祝文化園の変貌『梁祝古墓』

      今回の寧波招待に同行していただいた「梁祝(リャンチュウ)会」の広報部長Tsukaさんのブログで「寧波でのこと」を取り上げていただきましたので、またまた転載です。
      渡辺の「寧波文化園変貌シリーズ」をTsukaさんのブログの後ろに付け加えさせていただきました。
      今回は「梁祝(リャンチュウ)古墓」の変貌ぶりです  

      2016年5月22日 (日)
      http://musuidokugen.tea-nifty.com/ 
      以下はTsukaさんのブログ転載です。

      寧波に贈る「梁祝会」を揮毫。

      先月、中国・寧波政府の招待を受け、「梁祝文化研究の専門家」として
      中日韓のシンポジウムを終え、無事帰国しましたが、

      寧波空港でお別れの際、「中国梁祝文化研究会」会長の周静書先生からメモを渡され、日本梁祝文化研究所・贈として「梁祝会」の揮毫を頼まれました。↓
      Photo
      Letter01_2あっという間に1ヶ月経ちましたが、渡辺先生に現地への郵送をお願いしました。
      きっとこの書は、永久保存されるでしょう?

      そういえば、渡辺先生はブログでこんな嬉しいことを(笑)…「書家でもある塚越さん、随所で揮毫を頼まれ、改めてその書の凄さを知らされました。」

      Photo_2右の写真は、開幕式典会場にて渡辺明次先生の写真と説明の前で。→

      左端が周静書会長。
      私の隣が、5年前、鎌倉での戯曲「梁祝」でヒロイン祝英台を演じた青井聡子さん。
      そして、北京駐在時代からずっと協力をされてきた正谷絵美さん。

      我が日本「梁祝会」の活動は、昨年末の忘年会以来止まっているので、近々に報告会を予定しています。

      実のところ、飲み会中心なのですが、新規に協力してくださる方も募って
      活動を充実させようと思う次第です。(^^;ゞ


      以下渡辺
      今回は「梁祝(リャンチュウ)古墓」の変貌ぶりです。 
      梁祝古墓の変遷写真、もとはガラス張りで覆われていたがオープン展示に変わっていた。
       
         写真説明1,ガラス張りだった古墓、2,1925年撮影の原墓、3,発掘時の墓、4,ガラスでドーム状に覆われていた古墓
      古墓の説明が新しく付け加えられていたので、翻訳してみました。   4,新しくオープンになった古墓

         
      以下上の写真↑説明掲示の翻訳です。
      『梁祝古墓』

          梁祝(リャンチュウ)の墓は晋代の鄞県(ぎんけん寧波)知事梁山伯(リャンシャンボ)の墓が始まりである。『鄞県誌』の記載によれば、東晋の寧康(ねいこう)元年癸酉(みずのととり紀元後373年)に建てられた。今を隔たること1600余年前、寧康(ねいこう)三年己亥(つちのとい紀元後375年)の春の終わり(旧暦の3月)、梁と同窓の祝英台(チュウインタイ)は上虞より船に乗り鄞県の西に嫁に行くことになりその途中、姚江(ようこう)の岸辺にある梁の墓を通りかかると、風波激しく巻き起こり船は進むことができなくなった。そこで上陸して慟哭し悼み嘆き梁を弔う。英台は梁の墓の碑に突進し墓に吸い込まれるようにぶつかり愛情のために命を絶った。後に祝英台(チュウインタイ)と梁山伯(リャンシャンボ)があの世で添い遂げるようにと二人を合葬した。このことは時の朝廷にまで聞こえ、丞相(じょしょう宰相)の謝安(今回の訪問で1,二人の墓、正面2,その背後にある義婦塚の碑、3,祝英台上陸地点
      320-385年)はこれに“義婦塚”の称号を賜るように朝廷に上奏した。すぐに梁の墓に“英台義婦塚”の碑が付け加えられた。これが世にあまり知られていない一つの墓に二つの碑がある原因であり、俗に“蝴蝶碑”と呼ばれている。もともとの二つの碑は、晋代安帝(あんてい、東晋の第10代皇帝)丁酉(ひのととり紀元後397年)の秋、孫恩(東晋の人物そんおん、? - 402年→孫恩の乱)の軍に碑は破壊され姚江(ようこう)に投げ捨てられ遺棄された。しばらくしてこれは元に戻され恢復した。当時すでに民衆は梁県知事を清廉潔白な役人として敬い慕い、また梁祝の二人が愛情に忠節で、信仰厚い態度に対して、それまでずっと敬虔誠実に祭り拝し、お香や線香の煙が絶えず、民衆の信仰は長く維持され、千年余に渡り続いた。1960年代にいたり、穀物倉庫を建設するときに、梁祝の墓は壊され平らにされ墓の上に建物が作られた。併せて二つの碑は壊し取り除かれ、その他の石材は穀物倉庫の建築材等に使われ、今に至るまでその跡はわからなかった。1997年6月この状況への緊急処置として古墓の発掘が行われた。幸いにも古墓の本体はまだなお大半がそのままであり、また少量の陪葬品及び数片の骨も発見された。この墓は今は、国の文物保護単位とされ、この現状のまま保護され、誰でもが見ることができるものとして公開されている。              2012年9月

        

      posted by: リャンチュウ先生 | - | 09:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      寧波「梁祝(リャンチュウ)文化園」の変貌ぶりは目を見張るものがあった
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        寧波「梁祝(リャンチュウ)文化園」の変貌ぶりは目を見張るものがあった
           今日またTsukaさんのhttp://musuidokugen.tea-nifty.com/ブログ「夢酔独言」に、今回の寧波への招待のことを取り上げていただきましたので、
        下記に転載させていただきました。
        写真1、以前、市の中心部から出ていたバス:2,以前の梁祝文化園前は素朴な地方のお寺の門前町という風情で露店もでていた。
            今回の渡辺明次の寧波行き最大の目標は、梁祝(リャンチュウ)愛情故事に関する展示として中国で最も詳しく正確な展示を目指すということで資料の提供を求められ日本から鎌倉の「戯曲梁祝(リャンチュウ)」の資料も含めて寧波側に提供しているので、それで(招待されたシンポジウムへの参加よりも)、新しくできた「中国梁祝(リャンチュウ)文化博物館」をきちんと見ることであった。
        写真、新しくできた地下鉄の梁祝(リャンチュウ)駅。

        公園全体の骨組みには何も変更はなく、より正確に磨きがかけられていると感じた。もちろん渡辺明次の「梁祝(リャンチュウ)三部作」、古野浩昭氏の鎌倉「戯曲梁祝(リャンチュウ)」公演等の説明も詳細で正しく申し分がなかった。以前は寧波の中心部からバスで30分以上かかるところであったが、なんと地下鉄が開通していた。地下鉄に実際にのる時間が取れなかったのが心残りである。「梁祝(リャンチュウ)駅」のホームなどに「中国梁祝(リャンチュウ)文化研究会」会長の周静書先生が自ら書きデザインしたという各種レリーフや展示があるという。いずれあらためて実際に地下鉄に乗り写真を撮りに行きたいと考えている。写真、新しくできた地下鉄の梁祝(リャンチュウ)駅をバックに右から、塚越・渡辺・周会長・正谷さん

             以下Tsukaさんのブログ転載です。

        2016年5月17日 (火)

        経済的に豊かな中国・寧波市。

        「2016年の東アジア文化都市」として、寧波(中国)、奈良(日本)、済州(韓国)が選ばれた。ということで先月、中国・寧波で開催された開幕式に出席してきました。

        きっかけは、開催地の寧波が「梁祝愛情故事」の発祥地という研究結果により、我ら「梁祝会(日本梁祝文化研究所)」も、招待されるべく客人となったのです。(笑)
        20160416
        ↑全員集合写真のタイトルは「中日韓の梁祝文化学術討論会の専門家が集合」。
        (梁祝公園の中心にて)

        PhotoPhoto_2ただ残念なのは、日本の殆どの人が「梁祝故事」を知らない。
        中国では誰もが知り、韓国でも少なからざる民衆が知っているという。

        梁祝公園に入ると、驚いたのはたくさんの子供たち。
        写真の青い服が梁山伯、赤い服の女の子は祝英台でしょう。
        また、あちこちで恋人カップルや、一人でお祈りしているお年よりも見かけました。

        Photo_3さらには「愛情三字経」と題したパネルを見つけた、(写真)
        ※「三字経」とは、千字文などと並ぶ伝統的な中国の初学者用の学習書。
        現在、渡辺明次先生がこれを翻訳中とのことですが、

        そこでわかってきたのは寧波市が経済的に豊かな理由、それは「愛情ビジネス」です!

        20160416_2この寧波の梁祝公園を、縁結びの聖地とし、
        結婚式場も営み、単なる観光地としてだけでない大きなビジネスを成功させているのでしょう。

        訪問中は、梁祝公園の巌社長さん(渡辺先生の右隣)自ら、
        我々を始終くまなく、優しく接待してくださったのです。(^^)v

        posted by: リャンチュウ先生 | - | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        寧波にだけある梁祝リャンチュウ『清官伝説』
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          2016年5月 5日 (木)

          寧波にだけある梁祝リャンチュウ『清官伝説』
          今回の寧波政府の招待に同行してくれた「梁祝会広報部長」Tsukaさんのブログで
           渡辺が梁祝伝説を説明するメインテーマに取り上げている
              「神喟然歎曰“生當封侯,死當廟食,區區何足論也!」を取り上げてくれていますので以下に例の如くTsukaさんのブログをそのまま転載させていただきました。

          http://musuidokugen.tea-nifty.com/
          注:清官(せいがんは)『清廉で公正な官吏』の意味。反義語は 貪官(たんがん) 悪徳官吏.汚職官吏。
           
                 『清官伝説』は寧波にしかなく寧波にある1100年代の石碑にこのくだりがある。
             なお、中国では梁祝伝説は、ちょうど日本で「伊豆の踊子」などがその時最も旬な俳優によって繰り返し制作されるように映画やTVドラマが作られる。渡辺の知る限り中国で最も新しい30余話のTVドラマで梁山伯(リャンシャンボ)がピーター・ホー(何潤東、Peter Ho )、祝英台(チュウインタイ)が 董潔(ドン・ジエ )の「梁山伯と祝英台」の最後の部分に役人として河川の堤防を工事する場面がちょっとだけある




          以下Tsukaさんのブログ

          梁山伯・祝英台伝説の真実に迫る講演!

          中国・寧波へ旅立つ前に書いた謎の文?「神喟然嘆曰…」を揮毫ですが、あのページと比較しながら読むとわかり易いと思います。

          034_1_202渡辺明次著梁山伯・祝英台伝説の真実性を追うは、中国全土に知られた愛情伝説「梁祝」を単なる伝説でなく実話だという論文。

          著者渡辺先生は、今でも多くの謎に挑戦しつつあるのです。

          物語の結末部分ををごく簡単にお話しすると、学問を共にし未来を契り合ったうら若き男女が親の縁談話で断絶。嘆き苦しみ病死してしまう梁山伯、その墓に飛び込む祝英台。
          最後に二人が蝶になって結ばれるという悲しくも美しい話なのだが…、

          Photo_3←渡辺先生は「真実は、そんな柔な話ではない」と。

          先月の寧波で開催された中日韓梁祝文化学術シンポジウム」で、(私が頼まれて揮毫した)石碑の文を持って演説されました。(上の写真)↑

          伝説を解明するため各地を廻り、寧波の梁祝公園で見つけたのが石碑の文なのです。(下の写真、その右隣りは拓本から重要な文章を取り出し拡大したもの)

          Photo_4←神喟然歎曰“生當封侯,死當廟食,區區何足論也!
          意味は「聖なる山伯は嘆いて曰く『この世に活きては諸侯に封ぜられ立派な役人となり、死後も人々に敬われる人となるべきである。
          女性に振られるなどという些細な事は論ずるに値しない。』」

          これは驚きですが、実は清廉潔白で立派な役人になっていたというのです。

          Photo_5「梁祝博物館」にある壁画が説明しています。→

          悲しきはずの梁山伯は、弱冠20歳で県知事となったのです。さらに民衆の為に身命を投げ打ち、過労死だったとは。

          というわけで、講演会は中国、韓国の方々にインパクトがあったことでしょう。

          そこで渡辺先生とで考えるに、
          この真実を上手に持ち込んで、日本版「梁祝愛情故事」を構成し直したら面白いのでは?(^^)v

          posted by: リャンチュウ先生 | - | 10:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          「東アジア文化の都・2016寧波」活動
          0
             シンポジウム全体会議で。
            報道は6種類ほどありそのうちの一つ寧波日報/同じ新聞に

            「くまもん」も登場する熊本地震の報道も大きく載っていました。
            413日〜419日「東アジア文化の都・2016寧波」活動に出席した。
             寧波政府の招待を受け、最初は一人であったが、梁祝会広報部長「塚越誠」氏の同行申し出が呼び水となり、鎌倉の古野浩昭氏の脚本での戯曲「梁祝」で祝英台(チュウインタイ)を演じた「青井聡子」さんの同行申し出があり、さらに加えるに梁祝会の主要メンバーである「正谷絵美」さんの同行申し出へと発展し一行は全部で4名となった。そしてこの全体の寧波行きを蔭で支えてくれたのは渡辺明次が湖南
            省の湘譚(シャンタン)大学で日本語教師をしていたときの学生達である。
            『東アジア文化の都・2016寧波』活動開幕式典で。
            祝英台の故郷である祝家庄上虞で、祝英台研究会の陳秋強会長との細かい打ち合わせと通訳を引き受け、現在上海で働く「陳麗(ちんれい)」さん、中国到着後の携帯電話を上海から手配してくれた上海で働く趙凱芳(ちょうかいほう)、その携帯電話をいま北京で働いていて北京の飛行場に届けてくれた「孟恋(もうれん)」さん、寧波で即席で青井聡子さんの講演を通訳してくれた「周友文」(しゅうゆうぶん)さん、寧波の石碑の文章解読のために協力してくれた「田萌(てんほう)」さん、上虞のホテルの手配をし、支援してくれた我が高校教員時代の同僚で、現在、上海の日本人学校で教えている「阿久津」先生である。 寧波、上虞等の滞在、移動費用はすべて向こう側で負担された旅であった。
               多くのTV取材や、「寧波日報」等の新聞報道があったが以下にその一つの翻訳文を掲載します。日を追っての詳しい内容は、広報部長Tsukaさんのブログhttp://musuidokugen.tea-nifty.com/「夢酔独言」を覧下さい。
              上海から寧波に来てくれた学生右から、周友文、趙凱芳、田萌さ講演する「青井聡子」さんと通訳をする周友文。
            下左が、北京に「中国携帯」を届けてくれた孟恋さん

             
            寧波「梁山伯の墓」で右から阿久津先生、陳麗、正谷さん

            中日韓“梁祝(リャンチュウ)”文化研究の専門家一行

            梁祝伝説起源の地を訪れる

            2016417日新浪博客(記者:龔国栄きょうこくえい

                                                   
               416日午前、寧波の招待を受けて「東アジア文化の都・2016寧波」活動に参加する20余名の中日韓“梁祝(リャンチュウ)”研究の専門家一行が中国梁祝文化研究会会長の周静書氏の案内の下梁祝伝説発祥起源の地を訪れ、寧波の梁祝文化園の万松書院、梁聖君廟、中国梁祝文化博物館、梁祝合葬の古墓、祝英台上陸地点等の数多い梁祝文化の遺跡のある場所を実地に考察した。
             70余歳になる日本梁祝文化研究所長の渡辺明次氏は既に梁山伯の墓がある梁祝文化園を16回も考察のため訪れている。渡辺明次氏は今回、特に日本の梁祝文化研究所広報部長の塚越誠氏、主任研究員の正谷絵美女史、古野浩昭氏の戯曲「梁祝」鎌倉公演で祝英台(チュウインタイ)を演じた青井聡子女史を梁祝伝説発祥起源の地を熟知させようと同行している。
               渡辺明次氏は、“これは16回目の寧波の梁祝文化園への訪問ということになりますが、いやー大変な変貌ぶりですね、前回寧波に来たのは2009年のことでした。‘梁祝’故事は中国人の美しい愛情に対する態度と憧れを体現し、また中華民族が清廉に身を修め国を治めるという美しい理想をも体現しており、現代の日本にとってもとても強く現実的に参考とすべき意義を有していますので、私はこの伝説が包含している精髄を日本人に正しく伝え、日本の一般の若者達にもこのような文化と精神をもって感動させたいと考えているのです。”と言う。それで渡辺氏は何回も考察のために訪れていると語った。

             

                全体会議で講演する渡辺明次。
             

             韓国国立全南大学人文学院院長の李珠魯(りしゅろ)教授と韓国国立全北大学中文学部教授金垠希(きんごんき)ご夫妻もまた、梁祝文化と中国の民間文芸に対して、いずれも造詣ある研究を持っている。李珠魯教授はまさにちょうど梁祝文化に関する著作を執筆中で、先生が言うには“1998年私が蘇州の学者を訪問したときに、梁祝伝説について聞き及び、それを聞いた後にとても感動しました。中でもとりわけ興味を持ちましたのは祝英台(チュウインタイ)が女性の身で男装して学問を探究した経過と最後には梁山伯(リャンシャンボ)の墓前で蝶になることです”と語った。また金垠希(きんごんき)教授は記者に告げて言うには、韓国においては少なからざる普通の民衆が梁祝故事を知っているという。また先生は韓国で高校生が上演した梁祝故事の舞台劇をみたことがあると言う。今回の梁祝文化園への参観の中で、この梁祝故事に関して韓国から来た専門家にとっては、このように多くの遺物と文化景観を実際に見て、また中国梁祝文化研究会会長の周静書先生の当地の伝説と風俗、民情と結びつけた説明を聞いて、収穫がとても大きく、梁祝文化に対してより一層多くの新しい認識を持つようになったと述べた。
             

                書家でもある塚越さん、随所で揮毫を頼まれ、改めてその書の凄さを知らされました。

            渡辺明次の展示がある梁祝博物館で。
            下は古野浩昭氏の展示の前で青井さん、正谷さん。

                         寧波、梁祝文化園の日本の能舞台のようで「神人共悦」の額がかかる舞台上で青井・正谷さん


              このたびの参観の中で、また一人の特別の来賓である青井聡子女史がおられる。彼女は日本の古都鎌倉で渡辺明次氏の翻訳した梁祝の小説に触発され筆を執った、古野浩昭氏の脚本で2009103日上演された戯曲「梁祝リャンチュウ」の中で祝英台を演じた女性である。 日本の伝統衣装である和服を着ている青井聡子女史は同行しているもう一人の女性、正谷絵美女史とともに梁祝文化園の中にある“神人共悦”(神、人ともに悦ぶ)の額がかかる立派な古色あふれる舞台に上がり、青井聡子女史は記者の求めに応じて即席で戯曲の中で祝英台が梁山伯の墓前でまさに蝶になる瞬間の一段を身振り手振り豊かに演じた。
             

              
            開幕式典で、講演者渡辺明次の写真と説明がありました。左が今回招待状をくれた、周静書会長。
             

               彼女は言う“今回梁祝故事起源の地である梁祝文化園に来られたことはとても嬉しいことで、鎌倉で5年前に戯曲「梁祝」で祝英台を演じた時に、頭の中にいつも思い浮かべた祝英台の生活の情景等について、今回の参観で、梁祝愛情故事に対するイメージをより一層豊富にいたしました。”と語った。
              日本梁祝文化研究所所長の渡辺明次氏は日本の高校で長く教師を務め、定年退職後、北京外国語大学に留学し、その留学期間中、教材の中にあった梁祝故事に深く引きつけられたという。梁祝故事に魅せられた後、この美しい伝説の源を探し訪ねようという思いが沸々とわき起こり、渡辺氏は学校の休暇を利用して、江蘇省、浙江省一帯は言うに及ばず、甘粛省清水(せいすい)、安徽省舒城(じょじょう)、四川省重慶合川(ごうせん)、江蘇省江都(こうと)、河南省汝南(じょなん)、河北省河間(かかん)等の中国国内10数カ所の梁祝伝説の伝承遺跡を訪ね回り、その実地踏査の中で聞き及んだ全過程の調査報告を中国語で書き上げ、それを卒業論文とした。日本に戻った後に、渡辺明次氏は梁祝文化研究所を立ち上げた。この10年間、渡辺明次氏の翻訳により、趙清閣(ちょうせいかく)の長編小説『梁山伯と祝英台』、また周静書氏の編纂になる「梁山伯祝英台伝説」を翻訳し『梁祝口承伝説集』を出版し、併せて自らの卒業論文『梁山伯祝英台伝説の真実性を追う』を梁祝三部作と銘打ち出版した。

             


            上虞の祝英台の故郷「祝府」で。


             これにより渡辺明次氏は梁祝伝説伝承地の遺跡を最も多く考察した国外唯一の人物となった。渡辺明次氏についてとりわけ評価しなければならないことはより早く“寧波が梁祝伝説起源の地”であることを提起した国外唯一の研究者であることである。
                                                                  2016417日新浪博客(記者:龔国栄きょうこくえい

            posted by: リャンチュウ先生 | 梁祝ニュース | 20:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            寧波「中日韓梁祝文化学術シンポジウム」に心強い参加者が
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              2016年3月23日 (水)

              Tsukaさんのブログ転載です。http://musuidokugen.tea-nifty.com/

              来月の寧波(中国)での梁祝フォーラムに心強い参加者が。

              Photo来月の中国・寧波行きに、もうひとり、梁祝会のメンバーが同行してくれることになりました。

              9年前に粱祝公園で「梁祝の植樹」に参加した正谷絵美さんで、今回の旅に欠くことのできない重要人物。

              ということで現地に連絡すると、中国梁祝研究会の周静書会長からすぐに返事があり大歓迎だそうです。

              正谷さんは当時、梁祝北京駐在代表で、中国語がペラペラだし、我々の通訳もしてくれるから心強い。
              とにかくみなさん「梁祝愛情伝説」を日本に広めるために素晴らしい活躍をしてきた方々。

              Photo_2上は、戯曲「梁祝」鎌倉公演の時のポスター

              古い写真しか見つからなかったのですが、
              左は桜の木を植樹している正谷絵美さんと渡辺明次先生
              右の写真は、鎌倉舞台でヒロインの祝英台を演じた青井聡子さんと私

              Photo_3尤も、私も含め仕事の予定を調整して行くわけで、
              経済的にも決して余裕ある旅ではありませんが、おかげさまで日中文化交流の"和"が、民間レベルで拡がっているのです。

              意義ある楽しい旅になりそうです!(笑)

              posted by: リャンチュウ先生 | - | 15:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              戯曲「梁祝の祝英台」寧波のシンポジウム・上虞祝家庄祝英台テーマパークへ
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                写真説明(左)戯曲「梁祝」鎌倉公演ポスター(右下中、祝英台)
                2016年3月19日 (土)

                Tsukaさんのブログ転載です

                鎌倉舞台の梁祝スタッフと打ち合わせ

                Photo午後から鎌倉へ、
                来月の中国・寧波での粱祝シンポジウムに同行したいという仲間が増えた。

                日本で初めて戯曲「梁祝」を舞台公演したスタッフから連絡があり、
                鎌倉「小町通り」の入り口近くのお店に急遽集合となりました。

                我々は、渡辺明次先生と私、
                鎌倉側は、戯曲の作者古野さんと、ヒロイン「祝英台」役を演じた青井さん。

                懐かしくなりましたが、“日本で初の戯曲「梁祝」舞台公演に向けて、戯曲「梁祝」作者/古野浩昭の日誌”をHPに詳しく掲載してあります。

                20160319打ち合わせは、現地で合流するので宿泊地などはもちろんですが、
                中国、韓国との会議がメインなので、その段取りが中心。

                青井さんが和服を着てサプライズ、とか次第に盛り上がって来ました。

                ←真ん中の「書」が私が揮毫した「戯曲梁祝」

                来月なのに予定が決まると日数も間近に感じます。

                何か、忙がしくなってきました〜(笑)

                写真(右)戯曲「梁祝」鎌倉公演時、祝英台の父を演じた戯曲の作者古野さん

                posted by: リャンチュウ先生 | - | 09:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                寧波での「梁祝・文化フォーラム」を前に情報収集。
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                  2016年3月15日 (火)

                  Tsukaさんのブログの転載ですが。http://musuidokugen.tea-nifty.com/

                  中国・寧波での「梁祝・文化フォーラム」を前に情報収集。

                  中国・寧波(ねいは)、中国読みではニンボウだそうで。

                  Photoその寧波へ行くことで、色々な新情報を入手させていただきました。
                  その一つは、寧波市が「2016東アジアの文化拠点」に決定したのです!

                  写真は中日韓指導者会議
                  (中国語ですが)
                  2015年11月に開催された「中日韓指導者会議の共同宣言、要するに、寧波(中国)、奈良(日本)、済州(韓国)、を“東アジアの文化の都”として三国文化交流のプラットフォームとし、国際交流を推進することが決まったらしい。

                  素晴らしいことです。

                  「梁祝愛情故事」の話は、韓国でも他の東アジア圏でも大人気なのに、なぜか日本人の殆んどが知らないのです。
                  それを渡辺明次先生が初めて紹介したのだから、中国側にとって最も大事な日本の要人。文化フォーラムに出てくださいと招待する訳です。

                  Photo_2そういえばこの写真は、私が作った梁祝サイトの中ですが、9年前に寧波で植樹した懐かしいページを紹介しましょう。
                  ←この時は私はおりません。

                  そして寧波の後、紹興、杭州、上虞の旅も楽しみ。

                  この地域一帯(会稽郡)は、六朝時代には政治、文化(六朝文化)の中心地として発展した地域で、時は晋代(265〜420年)、梁祝(つまり梁山伯と祝英台)の舞台として愛情故事が繰り広げられたというから夢が広がります。

                  Noそこで、六朝時代といえば「書」。東晋の王羲之でしょう。ここからは私の出番です(笑)
                  写真は日本で開催された王羲之展の時の新聞記事。

                  書道を志すものなら誰でも学ぶ、『蘭亭の序』の「…会稽山陰の蘭亭に会す…」は私の記憶からも離れませんが
                  書聖・王羲之は西暦303年生まれ、日本の書の三筆の一人、空海(弘法大師)は774年生まれ、遣唐使として入唐したのは30歳というから、王羲之の書を学んだのは約500年も後のこと。

                  一つ嬉しいのは空海の誕生日が私と同じ6月15日!(本当はウソです、不空三蔵の入滅の日が6月15日で、空海はその生まれ変わりという謂れ)

                  もう一つ、私の雅号(梦羲)は王羲之からとったもの。
                  それぞれ何か縁があるようで…(あるわけ無いか?)、勝手に自己満足してます。(^^;ゞ

                  posted by: リャンチュウ先生 | - | 08:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  梁祝のシンポジウムの後は、早朝寧波発、上虞の祝家庄、祝英台テーマパーク。
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                    2016年3月 9日 (水)
                    Tsukaさんの「夢酔独言」の転載ですが、寧波行きのニュースを取り上げてくれました。

                    中国(寧波)行きを前に、

                    先日決定の通り、無形文化遺産保護シンポジウムに渡辺明次先生が、
                    日本の「梁祝文化」研究者として招待され、私も同行するわけですが、

                    Photo羽田〜寧波往復航空券の手配が済み、今日はその段取りと詳細な打ち合わせです。
                    これはもう遊覧ツアーじゃないですね(笑)

                    渡辺先生は昼間、日本僑報社へその報告と挨拶に出向かれ、
                    (写真は段編集長が撮ってくれた渡辺先生とその著書や訳書)→
                    その後、私と「養老乃瀧」で合流。

                    渡辺先生の新名刺が出来てました。(私のも後日出来るそうで)↓

                    Photo_2ビールで乾杯の後、渡辺先生は既に日程を細かく組んでくださってました。

                    シンポジウムの後日は、早朝寧波発、上虞の祝家庄、祝英台テーマパーク。
                    祝英台研究会会長陳秋強氏への表敬訪問など、上虞または紹興に宿泊

                    その翌日は、なんと!私の為に、書聖・王羲之の墓、蘭亭など、寧波に戻り宿泊

                    というものでした、大変恐縮です。(^^;ゞ

                    posted by: リャンチュウ先生 | - | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    「寧波『東アジアの文化の都』 2016活動年開幕式と無形文化遺産保護シンポジウムに招待されることに
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                       久しく梁祝関連ニュースがありませんでしたが、うれしい便りが寧波よりありました。以下に経過をお知らせします。Tsukaさんのhttp://musuidokugen.tea-nifty.com/
                      (ご同行いただくことになりました)にも取り上げられました。

                      『梁祝口承伝説集』の翻訳監修をしてくれた寧波大学の張正軍先生から224日突然メールがありました。内容は中国梁祝研究会会長の周静書先生が渡辺明次の消息を尋ねてきたということで、その内容は大変うれしいものでした。いかにそのやりとり、及びその結果届いたのは、
                      (写真説明:かって寧波を訪ね、寧波大学の張正軍先生(左)に通訳をお願いし「梁祝口承伝説集」の日本での翻訳出版、著作権などで周静書先生(中)にお会いしたとき)
                       
                      ・・・・・寧波市は2016年『東アジアの文化の都』として、 2016活動年開幕式及び東アジア無形文化遺産博覧会の無形文化遺産保護シンポジウム『東アジアの文化の都・寧波』を開催挙行する。・・・・・・・・
                       

                       
                      これに渡辺明次を日本の「梁祝文化」研究者として招待するということです。早速「梁祝会広報部長」のTsukaさん(嬉しいことにTsukaさんも自費参加でご同道いただけることになりました)と連絡を取り二人で寧波に行くことにしました。
                       
                      寧波大学の張正軍先生からの224日のメール
                      渡辺先生
                       ずいぶんお久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか?
                       私は昨年8月から上海の華東理工大学外国語学院に転勤してきました。報告が遅れて、すみません。
                       さて、さきほど寧波の周静書氏から電話がありました。415日に寧波で中日韓梁祝文化フォーラムを主催することになったそうです。日本から1名招待するそうです。その1名の方は渡辺明次先生が誰よりも適任だと言っていました。でも、周先生は、かつて日本へ渡辺先生宛に本を送ってことがあり、それが届かずに返送されてきたそうで、渡辺先生には連絡ができなくなったと言っていました。周先生の電話は・・・・・・・です。
                       渡辺先生はまだ湖南省で日本語を教えているでしょうか?それとももう日本に帰国しましたか?
                       以上、ご返事をお待ちしております。
                                                 華東理工大学外国語学院
                                                 張 正軍

                       
                      寧波大学の張正軍先生からの225日のメール
                      渡辺先生
                       さっそくご返事をいただき、ありがとうございます。
                       周静書先生と電話で渡辺先生のことを話しました。渡辺先生が寧波〜東京の間の国際航空券(往復)、そして寧波までの費用、寧波滞在期間中のホテル代、食事代はフォーラムの主催側(市政府か周先生の勤め先)が負担することになると約束しました。通訳も手配するので、安心して来てくださいとのことです。
                       のちほど、私が周先生のメールアドレスをいただくと、渡辺先生のメールとメールアドレスを周静書先生に転送してもいいでしょうか。そうしたら、渡辺先生が直接に周先生に中国語でメールのやり取りができると思います。周先生は、フォーラムの具体的なことを渡辺先生に説明したいので、直接に伝えたいことがあるそうです。
                                     以上、また連絡します。    張 正軍

                      (写真説明、北京外国語大学在学中、梁祝伝説研究調査のため寧波に一週間ほど滞在したとき、ようやく、探し当てた、寧波政府の中国梁祝文化研究会会長の周静書先生に表敬訪問受けたとき)

                      中日韓梁祝文化トップによる
                           フォーラムと学術シンポジウム
                       
                          渡辺明次先生
                           こんにちは!あなたが寧波の中日韓梁祝文化学術シンポジウムに参加されることを歓迎いたします。正式の招請書簡を添付文書の中に入れてありますのでどうかお目通し下さい。
                       連絡を仲介してくれた張正軍先生から聞いたところによれば、(梁祝会の)仲間のご友人を同道されるということなので、どうかできるだけ早くその方のお名前と職名肩書き等をお知らせ下さい。そうすれば受け入れの手配をいたします。
                         またこのたび寧波にお出でになるにあたり、もしできるならば、日本で出版発行されたか或いは出ている梁祝に関係する書籍や雑誌、論文、絵や写真資料がればその収集にご協力下さい。またそれには古野浩昭氏の戯曲のシナリオ及び演出の写真、資料も含めます。ご協力いただければ我々はそれを、寧波の「中国梁祝文化博物館」に収蔵展示したいと思います。そしてそれらの資料を買い入れたり或いはコピーしたりする経費はすべて私どもが負担いたしますので、よろしくお願いいたします。
                         
                        以下は、それ以外の今回のフォーラムの概要です
                                
                             414日に寧波に到着して下さい。
                             415日〜16日はフォーラム会議
                                                  417日帰路につくことになります。
                        
                        もし渡辺先生が会議後、あと二日ほど寧波に滞在されるということであれば、その費用は私たちが手配いたします。このことに関してはどうかできるだけ早く私たちに連絡を下さい。
                         渡辺先生にはフォーラムの会議で30分ほど、主として梁祝紹介の日本における伝播の情況に関して、例えば西崎崇子さんのバイオリン演奏曲、アニメの梁祝、戯曲及び渡辺先生の著作、翻訳等のことを講演していただくことを考えております。私たちは日本の今の梁祝の翻訳文献を必要としています。もし新たな草稿があるならば、その文書の長短は問いませんので、それを早めにメールで私どもに送ってくれませんか。以上のことに関しできるだけ早く、私たちのアドレスに連絡を下さい。どうぞよろしく!
                       
                                                       中国梁祝文化研究会会長     周静書
                                                                 2016229
                                 
                               招請書
                         渡辺明次先生:   
                          
                        寧波市は2016年『東アジアの文化の都』として、 2016活動年開幕式及び東アジア無形文化遺産博覧会の無形文化遺産保護シンポジウム『東アジアの文化の都・寧波』を開催挙行する。
                       そこで中日韓三国間の梁祝文化の学術研究成果の交流をより強め、梁祝文化伝播の国際協力と交流を共同で推進するために、今日ここに心を込めて渡辺先生を中日韓梁祝文化研究者トップによるフォーラムと学術シンポジウムの講演のために寧波にお出でになり会議に参加されるよう招請状お送りする次第です。
                         
                         会議の具体的な内容は以下のとおりです。
                                 
                             時間:2016415日〜417
                               414日午後三時には寧波に到着するようにして下さい。
                      (また決まりましたら寧波に到着する具体的な場所を別途
                      担当者までご連絡下さい)
                                先生の講演内容:梁祝文化の日本における伝播と影響
                                費用:講演当事者の往復交通費及び寧波滞在期間中の宿泊食事費用等は当方で     負担いたします。
                          
                         連絡担当者:   竺琛(じく・ちん)
                                       
                             中国寧波市『東アジアの文化の都』活動組織委会
                                    (寧波市文化広電新聞出版局代筆)
                                               2016229日   
                       
                       
                       

                      posted by: リャンチュウ先生 | - | 08:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |