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「王羲之の書」をめぐるTsukaさんとのやりとりのご報告もあり、国際シンポジウム「不確実性の時代における東アジア協力の在り方」へ出かけた2017.10.16 Monday
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梁祝(リャンチュウ)会、広報部長のTsukaさんのmixiにアップされた日本華人教授会議主催の国際シンポジウム「不確実性の時代における東アジア協力の在り方」に又、中国の提唱している「一帯一路」とかに個人的にも興味があり専門家の話を聞きたいと思ったこと、
「今回の蘇州のシンポジウム」や、この2、3日来、「祝英台(チュウインタイ)の故郷、上虞祝府の王羲之の書」をめぐるTsukaさんとのやりとりの整理もあるので、
この機会にお話ししておかなければとも思ったので急遽Tsukaさんとご一緒した。
→その様子をTsukaさんのブログ「夢酔独言」の 10/14と
10/15で取り上げておられますので例の如く
以下転載させていただきました。2017年10月14日 (土)
2017年10月15日 (日)
昨日のシンポジウムのあとは、ミニ「梁祝会」。
昨日のシンポジウムのあと、我ら3人は本郷三丁目界隈の居酒屋を求めフラフラと。
結局シンポジウムの話題から離れ、ミニ「梁祝会」となりました。(笑)
(写真右端は、渡辺先生が高校教師時代の同僚で、阿久津先生)ここで繰り広げられた話題は、私が書いた先日のブログ、「壁に書かれていた王羲之の「姨母帖」と「初月帖」!」について新事実がわかったからです。
このことに渡辺先生も関心を持ち、「上虞祝府の王羲之の書に関して、なぜあそこにあの文字があるのか?」と、現地に質問してくれたのです。
返事:写真の前にある人物は王羲之で、書はその通り王羲之の作品「姨母帖」と「初月帖」です。
それがここにある理由は、祝府テーマパークに芸術的雰囲気を醸し出すためと思います。文の内容は祝英台(チュンインタイ)と関係ありません。とのこと。そうですか、男の人形は祝英台の父親かな?と思ったけど間違えでした。王羲之そのものだったのですね。
ただし私の疑問はもうひとつ、右から3行目の文字「姨母」が、壁の模写では「姨女」になっている件です。
(左が現地資料館の展示物の写真、下の画像は原本の部分アップ)先方は驚き、さっそく会長および研究者に連絡を取り、分析と見解を求めた結果、なんと資料館側の間違えだそうで、その経緯と理由も伝えてきました。
同時に、指摘をした渡辺先生への敬意と感謝の辞が添えられていたのです。中国人は一般的に己の否を易々と認めないそうです。しかし、先方のこの謝辞は渡辺明次先生への信頼がいかに厚いかを物語っていると思います。
ところで、祝府の陳秋強会長からこの問題とは別の驚くべき新事実を知らされ、(それは東晋の時代の「書」に纏わることでもあり)、私の好奇心が再燃しました。
あまりに奥深い展開なので、渡辺先生の日本語翻訳文をもとに、後日、改めて紹介させていただくつもりです。(^_^)v
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