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  • 小説梁祝リャンチュウの著者「趙清閣」と「老舎」の恋愛事情
    渡辺明次 (09/11)
  • 「孟姜女口承伝説集」に前文を書いていただいた蘇州の馬漢民先生東京へ、神保町と国会図書館に同行。明代の文学者、蘇州の人、馮夢竜(ふうむりゅう)の記念館開設準備のための来日。
    渡辺明次 (09/11)
  • 「孟姜女口承伝説集」に前文を書いていただいた蘇州の馬漢民先生東京へ、神保町と国会図書館に同行。明代の文学者、蘇州の人、馮夢竜(ふうむりゅう)の記念館開設準備のための来日。
    えり (09/09)
  • 小説梁祝リャンチュウの著者「趙清閣」と「老舎」の恋愛事情
    えり (09/09)
  •  梁祝リャンチュウ伝説(梁祝愛情故事)は1500年以上昔の東晋(AD317〜420)の頃に形成され今に連綿と語り伝えられており、中国で四大愛情伝説(梁祝・孟姜女・牛郎織女=七夕伝説・白蛇伝)の一つに数えられる伝説である。
    Tsukagoshi (07/25)
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中国新聞網の記事に「梁祝リャンチュウ」も取り上げられました。中国語の勉強のために翻訳してみました。
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      中国新聞網の記事に「梁祝リャンチュウ」も取り上げられました。中国語の勉強のために翻訳してみました。

       東京の“中国文化祭”の現場ルポ
            中日交流は“心”から始まる         
    中国新聞網 交流活動に参加                               2012年9月10東京電・記者 謝国橋
     (中国語原文)→ http://www.chinanews.com/sh/2012/09-10/4173042.shtml
     九月7日から9日まで、“2012東京「中国文化祭」”が「ホテル・プリンス芝公園」のザ・プリンスパークタワー東京で成功裡に開催された。期間中の三日間、民族歌舞、中国武術、伝統工芸、各種の中国グルメ、漢方の講座などの活動は多くの日本の各界の民衆を引きつけた。これは正に駐日本中国大使、程永華氏が、“文化祭”は「普通の日本の民衆を中国に近づけ、中国を理解してもらい、中国を知ってもらう橋を架けることになる」と言っているとおりである。
      

     その中で「中国語コーナー(漢語角)」が今回の文化祭の一環として、特別の関心を引き起こした。「東京中国語コーナー(東京漢語角)」は2007年に誕生し、その後すぐに静岡県、茨城県へと次から次へと「漢語角」が誕生し、日本のメディアに「青空教室」と誉められている。今回、この文化祭をきっかけとして、すべての日本の「漢語角」の人たちが初めて東京に集まった。ここで思う存分中国文化を体験すると同時に、それぞれに中国とのユニークな関わりを分かちあった。「漢語角」の構成員はもちろん皆中国語を学習することに感慨を覚え目的を一つにし、また皆は何年も一日の如く中日交流を続けているのではあるが、けれどもそれは、だれでも皆、中国文化の精神を心から愛する熱意を持っているからである。
      

    室内会場で「交流はことばから」で講演した内容の要旨                

    1, 中西桐子さん:二胡を弾く日本の大学生
     中西桐子さんは早稲田大学教育学部三年生の学生である。ちょっと見たところでは、彼女は、別に特別の学生とは見えない。けれども、20歳の時にはもう既に二胡を10年数年も学んでいた。彼女は6歳で二胡を学び始め、小学校6年で初めて北京の二胡コンクールに参加し、それ以後、何度も北京に赴いた。彼女は北京の変化はとても大きくて、毎回、北京に行くたびにいつも新しい発見をすると言う。

        2011年9月、中西桐子はわざわざ大学を一年休学し、久しく憧れていた北京の「中央音楽大学」に二胡と中国語を学ぶために留学した。彼女は北京での留学生活を語り出すと、滔滔と話しが止まらず、興奮している気持ちが言葉や表情に表れる。彼女は、中央音楽大学の一年間は、毎朝目を覚ますと、耳元に各種の楽器の音色が伝わってきたと言う。また、キャンパスの中ではほとんど毎日コンサートがあって、自分がまるで音楽の海原に浸っているかのようだったと言う。このような良好な学習環境は彼女にとても大きな刺激を与え、彼女をいっそう練習に駆り立てた。

       暇な時には、中西桐子さんは同級生と街をブラブラすることを好み、北京動物園一帯の服装の卸売市場で遊びふけり、帰るのを忘れ、幾多の経験を積んだ。彼女は既に値切り交渉のいかなる試練にも耐え得る技量を身につけている。彼女は、其処のものは安く、又可愛らしく、もし店が値切った値段で売ってくれなければ、その店を買わずに離れるふりをすれば、必ずこちらが言う値段で売ってくれると言う。街をブラブラすれば、もちろんグルメを欠かすことが出来ない。中西桐子さんは、中国の軽食は値段も安くて美味しく、分量も満足でき、彼女は麻辣燙、麻団子、果物入りクレープなどを食べるのが好きだと言う。 

       中西桐子さんは、大部分の日本人はメディアを通して中国を理解する、しかしメディアは往々にして一面を持って全部とするが、自分はとても中国が好きなので、出来れば多くの人は中国での自らの経験や感じたことを基にして中国を見ることを希望したいと言う。

           2,渡辺明次氏、梁祝リャンチュウ研究における、国外の第一人者

       『湘潭シャンタン大学での3年間は私の人生で最も充実した、最も楽しい時間であった』と渡辺明次氏は顔に満足の笑みをたたえて、中国の教師生活を思い出す。

        2002年、渡辺明次氏は東京のとある高校を定年退職し、その後すぐに北京外国語大学に留学し、自分の第二の人生を開始した。4年間、彼はどの課目も怠けることなく「皆勤賞」を獲得する。北京留学の二年目、彼は「梁祝リャンチュウ伝説」を知り、深く引きつけられ、その伝説の起源や経過の真相を明らかにしようと決心した。2005年から、彼は中国の8つの省の18カ所に分布する「梁祝リャンチュウ遺跡」を遍く訪ね、その全行程は数万劼傍擇鵑澄


    そして考証の成果を一冊の本にし日本で出版し、中国梁祝文化研究会会長、周静書から「すべての梁祝文化遺跡を実踏した日本の第一人者、また海外の第一人者」と誉め称えられた。此の後、彼は又も孟姜女伝説、牛飼いと織女(七夕伝説)、の伝承地を実地踏査する。これらのことのために、彼は3000万円余の退職金をすべて使い果たした。渡辺明次氏は、私の最大の願望は日本に中国四大民間愛情伝説を普及させ、日本人の誰でもに梁祝リャンチュウ伝説を知らしめることであると言う。

      2009年、渡辺明次氏は湘潭シャンタン大学日本語科に赴き教鞭をとる。彼は、中国の学生の学習意欲は強烈で、外の世界に対する好奇心に溢れており、この教師生活は自らにとってとても充実した有意義な退職後の生活であったと言う。今年の七月、年齢が原因で、彼は湘潭シャンタン大学を離れなければならなかった。
      
    最近、渡辺明次氏は一つの嬉しい知らせを受け取った。

    寧波の梁祝文化公園が今年の10月に園内に「中国梁祝文化博物館」を建設落成させるので、それに併せて博物館に渡辺氏の作品、自筆の原稿、実踏記録の写真などを永久展示するということで各種資料の提供を求められた。

          3,瀬野清水氏、在中国の時間が最も長い外交官  
      「私は幸運にも、改革開放前と開放後の中国を自ら経験し、中国の巨大な変化を目の当たりに見て、非常に幸せだと思う」今年ちょうど退官した日本の駐重慶総領事、瀬野清水氏は中国文化祭の席上で以下のように話した。

       高校二年の時、瀬野清水氏は学校の図書館で偶然一冊の写真集を見る、その中国を侵略した日本軍の残虐行為に衝撃を受け、それから中国に対して興味を持ち、中国語を学ぶことを決心する。高校卒業後、彼は大阪外国語大学中国語学科に入る。1975年、彼は願いどうりに外務省に入り、ほどなく北京語言大学と遼寧大学への留学に派遣される。それ以後、彼は広州、北京、上海、重慶などの地を歴任し、全部で駐中国の期間は25年に及ぶ。瀬野清水氏は笑いながら、自分はもしかしたら此れ迄で駐中国の最も長い日本の外交官であると語っている。

       瀬野清水氏は、これまでは多くの人は日本が「同じ漢字文化圏で中国語も同じ」と見なし、これが少なからず誤解を生んでいると言う。彼は例を挙げて言う、例えば「油断一秒、怪我一生」はよく見る一つの交通安全の標語である、その意味は「一秒をおろそかにするものは、一生苦しむ」となる。あまり日本語がわからない中国人は字面からその意味を理解し、日本人は特に「油」を重視すると思い、「油」の供給を一秒でも怠れば、相手を一生とがめなければならないというような意味に取る。また「愛人」は日本語では「恋人」を指し、中国語では「妻」の意味である。「娘」は日本語では「娘(むすめ)」を指し、中国語では「母親」を指す。

      瀬野清水氏は、正にこのように言語のもたらす、ちょっとした誤解と同じように、現在の中日間に最も必要であることは相互理解、相互信頼であると語る。また彼は「私たちは日中関係の原点に立ち返るべきで、それこそが小異を残して大同につく、平等互恵、平和共存と言うことであると言う」

      現在、瀬野清水氏は中国の「パンダ」を東日本大震災の被災地区の仙台市に招くために奔走している。彼は、「パンダが早く仙台にやって来て、被災地区の子供達に明るい笑い声と感動を持っていってあげたい」と言う。(完)翻訳:渡辺明次

     

    posted by: リャンチュウ先生 | - | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) |









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